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あなたが読むこと、ずーっと先になる、もしかしたらもう読むことないのかもしれない
だから、話すね
好きだよ
いつも、想ってる、変わらないんだ、変われない
追いつけない
正直で、いてほしい、あなたに
嘘をつかないでほしいってことじゃないの
私には言えないこと、あると思う
話したいと思って、話してほしい
会いたいと思って、会ってほしい
そうじゃなくちゃ、悲しすぎるもの
今夜は、飲みすぎてしまった、飲みすぎて眠ってしまったあなたに追いつけるかな
悲しみすぎては、たくさんのことを損なってしまうの、わかってる
でも、これからも、悲しんでしまう
あなたのせいでは、一ミリもないの
私は、ひとりでいなきゃいけないのかもしれないね
悲しませてしまうから
どれだけ、届くんだろう
届いてなんの意味があるんだろう
あなたは神様じゃない、ひとりの男だから
それでも、愛してるよ
夢
たくさん楽しい夢をみたなぁ、一緒なら
生き続ける意味、あなたといられれば、見つけられるって思ったよ
ずうぅーーっと、子どもの頃から、寂しくて不安だった
それが今になって、ほんとうに安心できる時間を持てたの
ありがとう
もっと軽く、自由になるよ
だって、軽くて自由なんだもの、ほんとうは
重しが、ほしかったのかな、風に飛ばされていかないように、ここに、いられるように
大丈夫、ここにいるよ
まだ
すり抜けられそうだ、って言われた、子どもに
愛してるよ
ウィスキー
ハイボールにハマってるって聞いて、思い出したこと、ずっと思ってること。
村上春樹によるウィスキーの聖地巡礼記、「もし僕らの言葉がウィスキーであったなら」の、「前書きのようなもの」のこと。
すごく大好きで、長いけど、そのままがいいから引用しちゃう。
もし僕らのことばがウィスキーであったなら、もちろん、これほど苦労することもなかったはずだ。僕は黙ってグラスを差し出し、あなたはそれを受け取って静かに喉に送り込む、それだけですんだはずだ。とてもシンプルで、とても親密で、とても正確だ。しかし残念ながら、僕らはことばがことばであり、ことばでしかない世界に住んでいる。僕らはすべてのものごとを、何かべつの素面(しらふ)のものに置き換えて語り、その限定性の中で生きていくしかない。でも例外的に、ほんのわずかの幸福な瞬間に、僕らのことばはほんとうにウィスキーになることがある。そして僕らはーー少なくとも僕はということだけどーーいつもそのような瞬間を夢見て生きているのだ。もし僕らのことばがウィスキーであったなら、と。
もし僕らのことばがウィスキーであったなら - 村上春樹
私たちは、今、「ほんのわずかの幸福な瞬間」を過ごしているのかもしれない。
シンプルな言葉で、余すことなく気持ちを伝え合える。
ことばがことばでしかなくて、限られた思いしか伝えられないとき、それはプリズムのように乱反射して歪んで、ときには私たちを遠ざけてしまうかもしれない、そんなことはザラにあることで。
想像すると、それがもう起こってしまったことのように悲しくて。
私の知ってるウィスキーは、高校生のとき、冬の平日の昼に自宅のこたつで友だちと飲んだ父のウィスキーで、コーラかなんかで割って。
気がついたらミカンを枕に寝てた。
私のことばも、きっとその程度のものでしかないのだけど、でも、どうか、届くように、届くように。
これからもずっと、って、幸せな夢をみてるんだ。
体調不良
たくさん心配しちゃうよ
見えないし
声も聞けない
離れてるんだなぁって感じてしまったり
きっと
おれがそうなったときも
君はたくさん心配してくれてるんだろうね
ありがとう
今朝はこんな音楽でコーヒーを飲みました
早くよくなるように~って
願いながら
https://youtu.be/MOBYK_reo-4
がんばっている君へ
3月から4月にかけて...
大変だったね
まだ終わってないようですが、とにかく
お疲れ様!
子供たちの面倒を見ながら、家事をこなしながら、その合間を縫ってさ
(文字通り)(笑)
がんばっている姿を想像したり
会う約束のために無理させてるんじゃないかと思うたびに
少し胸が苦しくなった
LINE送りたいけど、邪魔したくないからブログにしたよ
もう少し(なのか⁉)愛しい君、がんばってください
今日は少しでもお昼寝してください