coltupのブログ

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ウィスキー

ハイボールにハマってるって聞いて、思い出したこと、ずっと思ってること。

村上春樹によるウィスキーの聖地巡礼記、「もし僕らの言葉がウィスキーであったなら」の、「前書きのようなもの」のこと。

すごく大好きで、長いけど、そのままがいいから引用しちゃう。



もし僕らのことばがウィスキーであったなら、もちろん、これほど苦労することもなかったはずだ。僕は黙ってグラスを差し出し、あなたはそれを受け取って静かに喉に送り込む、それだけですんだはずだ。とてもシンプルで、とても親密で、とても正確だ。しかし残念ながら、僕らはことばがことばであり、ことばでしかない世界に住んでいる。僕らはすべてのものごとを、何かべつの素面(しらふ)のものに置き換えて語り、その限定性の中で生きていくしかない。でも例外的に、ほんのわずかの幸福な瞬間に、僕らのことばはほんとうにウィスキーになることがある。そして僕らはーー少なくとも僕はということだけどーーいつもそのような瞬間を夢見て生きているのだ。もし僕らのことばがウィスキーであったなら、と。

もし僕らのことばがウィスキーであったなら - 村上春樹



私たちは、今、「ほんのわずかの幸福な瞬間」を過ごしているのかもしれない。
シンプルな言葉で、余すことなく気持ちを伝え合える。

ことばがことばでしかなくて、限られた思いしか伝えられないとき、それはプリズムのように乱反射して歪んで、ときには私たちを遠ざけてしまうかもしれない、そんなことはザラにあることで。

想像すると、それがもう起こってしまったことのように悲しくて。

私の知ってるウィスキーは、高校生のとき、冬の平日の昼に自宅のこたつで友だちと飲んだ父のウィスキーで、コーラかなんかで割って。
気がついたらミカンを枕に寝てた。

私のことばも、きっとその程度のものでしかないのだけど、でも、どうか、届くように、届くように。
これからもずっと、って、幸せな夢をみてるんだ。